センター試験に代わって行われる「大学入学共通テスト」の初回となる2021年度においては、英語の試験が「読む」と「聞く」の2技能を測定する形式となる見込みだということです。
従来のセンター試験には「書く・話す」の技能測定の名目で語句整序問題(並べ替え)と発音・アクセント問題が出題されていたが、これらはすでに廃止される方向で検討されてきており、この方針の見直しはないとのことです。
また、配点についても当初からの変更はないとのことで、筆記100点、リスニング100点となるようです。
これらの問題点について指摘していきます。
筆記の改変は教育に悪影響
語句整序問題は論理的思考力を鍛えるのにとても良い教材
語句を並び替えて意味のある文を作るという作業は、文法・語法・語彙という知識を用いて論理的に考えることに他ならず、文科省が求める論理的思考力を鍛えるのにうってつけの問題です。
確かに、英会話をする際に頭の中でいちいち単語を並び替えるクセがついてしまうというデメリットはあります。
しかし、それは英会話をする経験と時間によって解決される問題であり、論理的思考力を鍛えるチャンスと引き換えにするほどの問題ではありません。
よく言われていることですが、高等教育を受けて社会に出る人間に必要なのは、深い知識と論理的思考力であって、表面的であたりさわりのない会話力ではありません。
そんなことは英語圏の幼稚園児に任せて、大学へ進学する人には高尚で深い論理力と説得力を持ってほしいと思うのは当然のことですよね?
本当にそう思うのであれば、なぜ語句整序問題をなくす必要があるのですか?
もし「世界の潮流」が・・・などと言い出す人がいたら、その人には論理力を鍛えるために語句整序問題を解いてほしいですね。
日本人の教育について最も熟知しているのは日本であって外国人ではありません。なぜ外国の教育が日本人に合うと考えるのですか?
閑話休題。
そもそも英語も含めて、学校で教わる科目は教養を育てる道具であって、実用性は求められていないはずです。
※どんな科目であれ、実用レベルに達するには学校外での努力が必須です。学校の体育の授業だけでサッカー選手や水泳選手になれますか?家庭科だけで料理人になれますか?英語の授業だけで英語ペラペラになれると本気で思っている人(=中学高校の6年間英語を勉強したのにしゃべれないと文句を言っている人)は、普段からもうちょっとだけ頭を使うようにすべきだと思います。
数学が苦手な人がよく言いますよね。社会に出たら二次関数なんか使わない、とかなんとか。因数分解だったかな?
※最近では九九なんか覚えなくても電卓があればいいと言っている小学生もいるとかいないとか。
でもそんな発言は、まともな大人ならバッサリと切り捨てるはずです。思考力を鍛えることの大切さは、それこそまともな思考力を持った人であれば説明する必要などありませんよね。
文科省が今回の大学入試改革を敢行するにあたってもお題目のように唱えているわけですが、だからこそ理解ができません。
なぜ語句整序問題をなくすのでしょうか?
文法の学習をするなというこれ以上ない明確なメッセージ
筆記の問題から発音・アクセントと語句整序が廃止されるとの報道ですが、平成29年度施行調査および平成30年度施行調査の問題では、これまでの第2問にあたる文法分野の問題が一切ありませんでした。
このままの形で行くのであれば、日本の教育トップは、大学生にならんとする若者に対し、文法知識を身に付けなくてもよいというメッセージを発することになります。
日本人の英語学習に文法学習は不要だと主張する人は、そもそも日本人ではないか、日本人であっても英語を真剣に勉強したことのない人だけなので、文法の必要性についてここでわざわざ語ることはしません。
単語と文法の両輪が揃って初めて読解力という車がまっすぐに走り出す。これに異議を唱えても無駄です。単なる事実ですから。
※一応補足しておくと、ここで求めている英語レベルは「大学教育を受けるに値する力」であって、小学生が話すようなレベルの英語ではありませんので、英会話に文法なんていらないよなどという反論も不要です。
結論を言えば、あたかも大学が求める英語力に文法知識は不要だといわんばかりのこの形式は、この試験に向けて勉強をする高校生たちの英語力を低下させることに大いに貢献するだろう、ということです。
今の形式でさえ、配点の問題で文法は捨てろという指導をせざるを得ないことがあるわけですから、文法なんていいから単語を覚えろという指導が日本中で巻き起こることになるでしょう。
つまり、今回の改変は日本の高校生の英語教育に悪影響があるということです。
※指導する側はもちろん文法の大切さを知っています。それでも特に理系の高校3年生や浪人生は時間がないため、140点くらいまででいいのであれば「単語を覚えてひたすら読む」という指導が奏功することは珍しくないのです。これを点数至上主義と批判するのは勝手ですが、日本の大学入試で、1点でも多く取ろうとすることを批判する人は、受験生の将来などどうでもよく、無責任にただ言いたいことを言っているだけなので黙殺します。
文法教育放棄を表す資料
文法を軽視してなどいない。きちんと考えて作問している。
もちろん、大学入試センターはそう言いうに決まっています。そうでないと、自分たちの仕事が不適切であると認めることになりますからね。
しかし、これを見てもまだ文法を軽視していないと主張できますか?
主に問いたい資質・能力
大問 | 小問 | 知識・技能 |
---|---|---|
第1問A | 問1~2 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第1問B | 問1~3 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第2問A | 問1~5 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第2問B | 問1~5 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第3問A | 問1~2 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第3問B | 問1~3 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第4問 | 問1~5 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第5問 | 問1~4 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第6問A | 問1~4 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
第6問B | 問1~4 | 英語の特徴やきまりに関する知識・技能(句読法,語,連語及び慣用表現,文構造及び文法事項) |
参考:平成30年度施行調査-問題のねらい、主に問いたい資質・能力及び小問正答率等
上の表は平成30年度施行調査の各設問の意図を説明したものです。「知識・技能」というのは語彙力と文法力を指すと思われます。
設問ごとにいったいどういう力が試されているのでしょうか・・・はい、全部同じですね。
「この問題はどのような英語の知識を問うものですか?」と問われたとき、上記のような返答をする先生がいたら生徒の信頼を得ることはないでしょう。オウムに教えられたくありませんね。
いったい何なのでしょうか、この資料は。
どの問題においても目的・意図が同じというのはおおよそ考えられません。これを「やっつけ仕事」と捉えない方がおかしいくらいです。
もちろん、作成者はこう反論するでしょう。
「読解問題では総合力が試されるため、個々の分野に切り分けることはできないのだ」
しかし、大学入学共通テストの位置づけを考えたとき、本当にそう主張することが正しいのでしょうか。
文法学習に否定的なネイティブ・スピーカーや帰国子女たちを擁護するなら、彼らがケチをつけるのはたいてい文法用語のほうであって、文法そのものの知識はきちんとあるんですよね。
母国語というのは、文法や構造を意識せずに使っているから、やれ複合関係代名詞だの、やれ仮定法過去完了だの言われても「は?何それおいしいの?」という感じなのは当然です。
そんな彼らですが、文法問題は解けないかというとそんなことありませんね。あっという間にスラスラ解きます。もちろん文法的な説明が頭に浮かぶのではなく、決まって「ふつうはこう言う・こう言わない」という理由で正解します。
当たり前ですが、これは英語が母国語だからできることであって、英語が単なる外国語に過ぎない日本人が同じようにできるわけがありません。
文法なんて勉強しなくてもいいと言うネイティブたちに足りない視点はここです。
彼らの母語は英語、日本人の母語は日本語です。
この当たり前の前提を無視して文法不要論を唱えるのはあまりにも軽率です。
日本語という母語がすでに確立した英語学習者は、基本的には日本語と比較しながら理解していきます。どこかどう違っているのか、どうしてそのような言い方をするのかということを、論理的に理解していくことで効率良く習得するのが、ごく普通の日本人が英語(に限らず他言語)を習得するための唯一の道です。
ということは、そうした学習者がきちんと英語力を身に付けているかどうかを問うには、知識を論理的に身に付けてきたかを問うのが筋ですよね。
だから日本では伝統的に、英語のテストには文法問題が出題されてきたのです。教育において一貫した筋が通っていることがよくわかりますね。
そして今、こうした筋を理解できない人々によって日本の英語教育は破壊されつつあるのです。
文法を直接問わないテストもあるが、それには明白な理由がある
もちろん、一段レベルを上げるなら話は変わります。
文法はしっかりと身に付いており、そのような「できて当然」なことを問われるような学習レベルにはないという「前提」で試験をするのであれば、全部長文読解問題にするのもアリでしょう。
現に慶應義塾など、一部の大学の入試問題ではそういった形式も見られますし、英検でも準1級からはそういう形になっています。
もちろん、このレベルはかなり高いです。
「文法などできて当然、むしろなぜできないのかわからない。文法なんてわざわざ勉強するものではない。」
おや、この考え方はどこかで見ましたね。そうです。ネイティブ・スピーカーの考え方そのものです。
文法力を問う問題を出さないということは、受験者のレベルがこのくらいだということを表すと考えて差し支えないでしょう。
ところで、大学入学共通テストはどのくらいのレベルを想定しているのでしょうか。実は、上の表と同じ出典(平成30年度施行調査-問題のねらい、主に問いたい資質・能力及び小問正答率等)に、きちんと設問ごとのレベルが示されています。
それによると、最も易しい設問でCEFR A1レベル、最も難しい設問でB1レベルとのことです。
CEFRについては以下を参照。
上記は文科省作成のCEFRレベルと各英語民間試験の対照表です。
※このCEFR対照表にもいろいろとマズい点がありますが、今回はそれは置いておきます。ここで重要なのは「これを出しているのが文部科学省である」という事実です。
これを見る限り、A1は英検3級合格レベルに相当しますね。
ちなみに、英検は各学年の学習指導要領に合わせて作問されており、3級は中学校卒業程度(2級は高校卒業程度)です。
今回の試行試験の中で最も難しい設問はB1、つまり英検2級合格レベルですね。
中3~高3レベルの学習者の英語力を問うときに、彼らの文法はすでに「完成済み」とみなすことは正しいでしょうか?正しいわけがありません。
ということは、やはり文法を問う問題が入っていないのは「出題ミス」であり、センター試験に代えてこの形式で試験を行うのであればそれは「判断ミス」ですよね。
文科省が主導する英語の試験問題の改変ですが、これによって起きているのは明白な改悪です。日本人の英語力を低下させることはあっても、向上させることは絶対にないと言い切れます。
現状のセンター試験に問題がないわけではない
先述したように、140点くらいまでは単語力だけでも取れてしまいます。
もちろん、実用的な英語力(易しい英文を早く読める力)を測るのであればそれでもいいかもしれませんが、こうなると「教養としての英語」という視点が欠け始めてきています。
先述しましたが、母国語が確立した後に外国語を身に付けるには、論理的に学ぶことが最も効率の良い学習方法ですから、学習者の進捗状況をきちんと把握しようと思うならば、文法を中心とした知識系問題をもっと増やすべきだと思います。
過去に遡るともう少し文法の配点比率が高く、センター試験の初年度(1990年)は200点中82点が文法問題でした。
ただ、90年代の文法問題にはやや細かすぎたり、非実用的であったり、それこそ問題として不適切なものもあったりしたので、文法偏重教育と批判されやすいものだったのは確かです。
この時代の読解問題は今と比べて半分ほどの分量しかなかったこともあり、「読む」ことにおける実用性にもやや欠けていたことも、現在の多読重視の流れの一つの要因でした。
※個々の大学の入試問題でも、英文が異常なほどややこしい言い回しをしていたり、書かれた時代があまりにも古かったりして、ネイティブ・スピーカーからも批判を受けるものが少なからずありました。日本という閉鎖された環境で日本人だけが作問をしていたことで、「入試英語」という英語が独り歩きをしていた時代ですね。
こうした時代の反省はもう十分になされており、大学の現場でも多くのネイティブ・スピーカーが採用され、広く意見を収集できる時代になった今だからこそ、英語力の基礎たる文法力を測定する良問だけを作ることは十分可能なはずです。
というわけで、今のセンター試験を改良するとしたら、私だったら文法・語法・語彙の部分で100点、読解に100点の計200点の試験にします。
※発音・アクセントについて細かいことはまた別の機会に書くことにしますが、問題として特に重要だとは思えないので、これはなくしてもかまわないと思います。その人の発音やアクセントの良し悪しは、なまりなどを考慮するとあまり測定すべきではないような気もしていますし、もしテストするにしても、パソコンに向かって英文を音読させれば上手いかどうかはすぐにわかるので、現代においてわざわざ文字で問う必要はないというのが私の基本的な考えです。
リスニングの改変は・・・(笑)
実際に平成30年度試行試験の問題を解きましたが、お粗末にもほどがありましたので(笑)とさせていただきます。
30分の試験で聞こえてくる英語が20分ほどしかなく、問題冊子には日本語があふれ、第3問までは英検3級レベルと思われる英語を丁寧に2回も流し、第4問以降はいきなり長くなったと思ったら1回しか聞けなくなり、表やら数字やら状況設定が事細かに書いてあっていつの間にか読解力のテストになり、内容はどこかで見聞きしたことのある話題ばかりで英語を聞くまでもなく正解が選べたり・・・。
とにかくひどい出来でした。
大学入試センターの作問者の方々には同情します。こんな愚問を作らされるくらいなら、従来通りのセンター試験に改良を重ねるほうがよほど有意義だったでしょう。
常識と良心のある大学ならば、これに100点、というか筆記と同じ配点を与えるはずはないので、大学入試のシステムに与える影響はそれほどでもないでしょう。
私が入試担当者ならば、センター試験の英語の配点は変更せず、筆記を200点、リスニングを50点に換算し、250点満点、もしくは0.8を掛けて200点満点扱いをするにとどめると思います。
センター試験の配点は各大学の裁量に委ねられていますからね。これが唯一の救いです。
長くなりましたが、賛同いただける方も、そうでない方も、ご意見ご感想あれば下のコメントフォームか、お問い合わせにてお願いいたします。
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