授業準備は5分?
Yahooのニュースに下記の見出しが出され、SNS上などで物議をかもしている。
以下に内容を一部抜粋する。
「授業準備は5分」に「小学校をなめているのか」 公立教員残業代訴訟の「仕分け」に教員ら困惑
田中さんは月平均約60時間の残業のうち、9割が4項目以外の業務だと主張。しかも、それらの業務は必要に迫られて行っているのに、教員が好きで勝手にやっている「自発的行為」と見なされ、賃金の対象外にされているのは「おかしい」と訴えているのだ。
これに対して地裁は、田中さんが提出した残業の内容を「労働時間」か否かに仕分けし、時間数も計算。その結果、時間外の労働時間を認めたものの、未払いの残業代の支払いについては給特法が適用されるとして棄却。国家賠償についても、賠償に値するほどの時間量でないとして認めなかった。
その仕分けの一部を抜粋した。これが公開されるや大きな波紋を呼んだ。とりわけ教員から困惑の声が多く上がったのが、「翌日の授業準備は1コマ5分」が相当とする判断だ。
50代の女性教員は言う。
「小学校をなめているのかと思いました。例えば理科の実験授業があるときは、予備実験をします。児童は毎年違うため、同じ実験でもやり方を変えるのです。こうした地道な準備を通して、私たちは授業の質を保ちます。司法にこんなことを言われて、文部科学省や教育委員会は抗議しないのでしょうか?」
(https://news.yahoo.co.jp/articles/7cb3fcde0c5a5c7ee672e3746f95e0ce879d9d1b?page=1より引用)
授業準備1コマ5分とは・・・?
ことの真偽や根拠を確かめるべくネット上を検索すると、当該訴訟の原告である田中まさお氏(仮名・62)が運営するウェブサイトを発見。
実際の判決文が書かれたPDFを入手することができた(上記リンク先を参照のこと)。
以下に「授業準備5分」に関する箇所を掲載する。
実際の判決文
(判決別紙P.67より引用)
上半分の段落に、確かにこう書かれている。
「実際にどの程度の授業準備を行うかについては,(略)最低限授業準備に必要と認められる限度でこれを認定すべきところ,その時間としては,1コマにつき5分間と認めるのが相当である」
なぜ5分なのか?
これを考えるにあたって、まず、全体的にどのような業務が労働時間と認められ、どのような業務が労働時間と認められなかったのかを見ていきたい。
労働時間か否か
田中まさお氏が運営するウェブサイトで公表されている「判決別紙」を基に、どんな業務が労働時間として認められた、あるいは認められなかったかを一覧にまとめてみた。
裁判所の判断の傾向が容易に見て取れるだろう。
労働時間と認められた業務
業務[労働時間] | 理由・要点 |
---|---|
教室の掲示物の管理 [2分/週] |
・校長の黙示の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
教室の掲示物の作成 [90分/年、30分/月] |
・校長の指揮命令あり ・掲示物の要否や内容は教員にある程度の裁量が認められている ・業務の性質上、原告の主張する時間全てを労働時間とは認めない |
翌日の授業準備 [最低5分/コマ] |
・業務上必要不可欠な準備行為 ・準備の程度については教員の教育的見地からの自主的な判断に委ねられている ・最低限必要な限度で労働時間を認定する |
朝自習の準備 [10分/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
業者テストの採点 [60分/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
出席簿の整理・授業時間数集計表の提出 [30分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
健康診断票の作成・報告 [3時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
日直業務 [30分/回] |
・校長の指揮命令あり ・業務の内容上、原告の主張する時間全てを労働時間とは認めない |
週案簿の作成 [30分/週] |
・校長の指揮命令あり ・業務の内容上、原告の主張する時間全てを労働時間とは認めない |
学年花壇の草取り・管理 [10分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
学級・学年会計の確認・報告 [2時間/学期] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
通知表の作成 [40分/人] |
・校長の指揮命令あり ・業務の内容上、原告の主張する時間全てを労働時間とは認めない |
自己評価シートの作成 [2時間/部] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
学年便りの作成 [2時間/部] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
校外学習の準備 [3時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
交通安全教室等の申込み,実施計画作成 [2時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
家庭訪問の計画表作成・実施 [3時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
児童調査票・保健緊急カードの確認 [1時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
緊急連絡網の作成 [1時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
学級懇談会の準備 [2時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
安全点検 [5分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
配布物の綴込み [1時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
保護者のメール登録の確認 [1時間/回] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
指導要録の作成 [100分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
扇風機の清掃とビニール掛け [30分/回] |
・校長の指揮命令あり ・業務の内容上、原告の主張する時間全てを労働時間とは認めない |
エアコンスイッチ入切記録簿の作成 [5分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
教室のワックスがけ [1時間/学期] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
毎週金曜日に全校児童に課される宿題の作成 [30分/月] |
・校長の指揮命令あり ・原告の主張する時間を労働時間と認める |
労働時間と認められなかった業務
業務 | 理由・要点 |
---|---|
教室の整理整頓・落とし物の整理 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・教員の身の回りの整理整頓を励行する規定はあるが、これは教室の整理整頓を義務付けるものではない |
掃除用具の確認 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・教室ごとに所定の清掃用具の個数が指定されてはいるが、毎日確認することが義務付けられていたとはいえない |
掲示物のペン入れ・作文のペン入れ | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・児童が作成した成果物への添削・評価の要否及びその程度については個々の教員の教育的見地からの判断に委ねられている |
教材研究 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・授業準備の側面は否定しないが、自己研鑽の側面も多分に含むため、その実施の要否や方法、所要時間については各教員の教育的観点からの自主的な判断に委ねられている |
提出物の内容確認 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・原告自らが教育的見地から必要であると考え、自発的に行ったものである |
ドリル・プリント・小テストの採点 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・作業内容や提出物の評価を行うか否かは、原告自らがその教育的見地から自主的に決定したものである |
授業参観の準備 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・通常の授業準備に加えてさらに特別な準備が必要であるという事情を認めることはできない ・原告自身も、十分な授業準備が必要であると主張するのみで、その具体的な内容を明らかにしていない ・授業参観のためにどの程度の準備を行うか否かは,各教員の教育的見地や学級運営の観点から自律的に決定されるものである |
保護者への対応 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・保護者対応は教員の責務の一つだが、どの保護者にどんな対応をどの程度行うかについては各教員が教育的見地や学級運営の観点、及び事案の性質に応じて自主的で自律的な判断により決めるものである |
児童のノート添削 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・児童のノート添削は教育的見地から教員に期待される業務だが、添削の要否及びその程度は各教員がその教育的見地から自律的に決定すべきである ・児童のノート添削は原告が教育的見地から必要と判断したためにこれを行ったものである |
授業で行った作業の添削 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない ・児童の作成した成果物への添削の要否及びその程度は各教員が教育的見地から自発的に決定すべきである |
賞状(皆勤賞等)の作成 | ・校長の指揮命令下で行ったという証拠がない |
労働時間とは
労働時間とは何か。
この定義は、法律には明記されていない。
過去の最高裁判決(判例)によって、一定の基準が示されている。
「指揮命令下説」とよばれるもので、雇用者が使用者の指揮命令に基づいて業務を行っている時間=労働時間とされる。
今回の裁判でも、原則として校長の指揮命令に基づく業務を行っているか否かが主な争点となっている。
※ただし、指揮命令下であることだけが唯一の判断基準ではなく、一部の行為については「必要不可欠な準備行為」として、その業務の性質が考慮されて労働時間と認められる場合もある。
なぜ授業準備は5分なのか
上記の一覧表を見た上で、改めてなぜ授業準備が1コマ5分とされたのかについて考えたい。
以下に判決文を再掲する。
翌日の授業準備については,授業という教員の本来的業務を円滑に実施するために必要不可欠な準備行為といえるから,同業務に従事した時間は労働時間に当たる。もっとも,実際にどの程度の授業準備を行うかについては,各教員の教育的見地からの自主的な判断に委ねられているから,最低限授業準備に必要と認められる限度でこれを認定すべきところ,その時間としては,1コマにつき5分間と認めるのが相当である。
裁判所での判断の流れを予想してみた。
⑴ 業務を円滑に実施するために必要不可欠な準備行為と認定
→ 労働時間に該当する
⑵ どの程度行うかは教員の判断(裁量の範囲内)と認定
→ 労働時間を算定する必要あり
⑶ 労働時間算定のため証拠を検討
→ 証拠なし?(判決文中に言及がない)
⑷ 裁判所の判断で最低限度の労働時間を決定
→ 1コマ5分間が相当である
上の流れを見てわかる通り、マズいことになっているのは⑶である。
裁判所は、翌日の授業準備は労働時間に当たると認めたため、労働時間の算定が試みられたのは間違いない。
しかし、原告の主張(提出された証拠及び陳述)が存在しないのか、判決文中に言及がない。
※田中まさお氏のサイトから「判決別紙」を各自でダウンロードして読んでもらえばわかると思うが、労働時間が認められた業務は、この「翌日の授業の準備」を除き、すべて何らかの証拠(原告が提出したもの、または陳述したこと)に基づいて算出されている。
おそらく、裁判所はここで頭を抱えたことだろう。
裁判所自ら労働時間として認めた手前、0分とするわけにはいかない。
しかし、実際にどの程度の時間が必要とされるのかを判断するにあたって、原告の主張が存在しない、もしくは、算出するための根拠として認めるに足りる客観的証拠がない。
ではどうするか。
とりあえず、何らかの根拠を考えて労働時間を設定するしかない。
一般的な授業準備として考えられる行動と言えば、「教科書を読む」ことだろう。
扱う予定の単元に関するページを開き、ざっくりと目を通す。
授業1回分なら、せいぜい5分あればいいだろう。
ちゃんと「最低」ってつけておけば問題ないだろう。
だって具体的に計算できる証拠が何もないんだから仕方ないだろ。
原告がちゃんと毎回記録を取っておいて、それを提出してくれればそこから計算できたのに、出さないほうが悪い。
とりあえず最低5分!ハイ決まり!
文句あったら証拠持ってこい!
私は裁判官になったことはないが、なかなか当たらずとも遠からずじゃないだろうか。
まあ1コマ5分ということは、5時間授業の日は25分、6時間授業の日は30分が労働時間として授業準備にあてられる時間となるので、ベテラン先生ならこれで足りるという人もいるかもしれない。
何にせよ、今の裁判で授業準備の時間を「適正な」労働時間として算出してもらいたいなら、きちんとした客観的証拠がなければダメだよ、ということだ。
追記
今回の裁判では、証拠が不十分なために明確な数値を算出できず、結果的に「最低5分」とされたが、5分という短さに反応して短絡的に「裁判所は授業準備は5分以内に終わらせろと言っている」とか「5分でできるものならやってみろ」とか、そういったコメントを出す前に、なぜ5分という数値が出されたのかを少しでも考えてみる、一次情報を辿ってみる、そういった行動を取ることができると良いのではないかとも思ったので、先走り傾向のある人はぜひ注意していただきたい。
コメント
証拠を残せというお話ですが、教員は過労死ラインを超えるような勤務をしています。
仕事をするので精一杯で証拠をまで手が回る教員がいるとお考えでしょうか?
証拠を残せるような仕事をしてみたいものです。