にわかに日本中で議論沸騰中の『9月入学』の是非。当事者である生徒・学生を初め、SNSなどで見る限り賛成派・反対派共に自らの意見を真っ向からぶつけあっていて、こう言っては不謹慎かもしれないが、大変面白く見ている。
ところが、賛成論を唱える主張の多くが、9月入学のメリットに意識が向きすぎるあまり、主張の根拠をあまり練っておらず、そこを厳しく突っ込まれ、ケンカ腰になったりして議論が破綻している状況をしばしば目にする。
私が自由英作文の指導で常に教え子たちに意識させていることでもあるが、因果関係と論理性を無視した主張は誰にも受け入れてもらえない独りよがりのもので、評価としては最悪なものになってしまうということが、まさに証明されているのだ。
そうした視点から、9月入学の是非を議論する上で絶対に外してはならない因果関係と論理展開を考えてみたので、一つの参考にしてもらい、実りのある議論を重ねるための足掛かりとしていただければ何よりだ。
9月入学を今主張する根拠はあるか
入試問題的に考える
9月入学の是非を述べる上で絶対に外してはならないのは、『なぜ今9月入学に変更すべきなのか』という疑問に的確な答えがあるかどうかを確認すること。
これを入試問題ふうにするとこうなる。
次の問いに日本語で答えなさい。
「日本の学校は今年から9月入学に変更すべきだ。」というが、なぜそういえるのか、説明せよ。
さて、どのような答えが正しいだろうか。
答えの例とそれに対する反論を考えていこう。
<解答例 1>
世界では9月入学が主流であり、日本もこれにあわせるべきだから。
考えられる反論は『なぜ今年からなのか』。
単に『日本の学校は9月入学に変更すべきだ』という主張の根拠としては問題ないが、ここで問われているのは『今年から』を含む文である。
言うまでもなく、『今年』とは新型コロナウイルスの影響で多くの学校で休校措置が取られており、これによって、児童・生徒・学生たちが、本来ならばできるはずだった学習や体験が失われてしまった年度のことである。
つまり、反論をもっと具体的にすると『なぜ新型コロナウイルスの影響を受けている今、世界と入学時期をあわせるべきなのか』ということになる。
こうなると、「今はコロナのせいでみんな手一杯で、そんなことを議論している暇はない」といった反論は必至だろう。
この『今』という部分を外してしまっては、文字通り『今』すべき議論の対象『外』となってしまうのだ。
では、次のものはどうか。
<解答例 2>
休校期間中に失われた学習や体験の機会を完全な形で取り戻すため。
予想される反論は『なぜ9月なのか』。
「失われた時間を取り戻すため」なのであれば、『9月』という特定の月にこだわるのではなく、「再開できた時点から1年間」と主張すべきではないのか。
先に書いた通り、9月入学制度はアメリカ、ヨーロッパ、中国など世界の主要国において導入されているが、それに合わせるべきかどうかは『今』議論しなければならないわけではない。
つまり、この議論において9月入学の利点というのは持ち出すべき事柄ではないということだ。
そうであれば、普通ならば「失われる時間が1秒でも少なくなるように、再開できるときに再開すべきだ。」と考えるのではないだろうか。
そして、「失った時間は絶対に取り返さなければならない」と考えるなら、「今年の学年は(日本全国の学校が)再開した時点から1年間とすべきだ」と主張するのが当然の流れというものだ。
つまり、極端な話だが、もしも5月中に何らかの理由でコロナの脅威が消滅し、学校が6月から再開可能となった場合には、日本の学校は6月入学に変更すべきだと主張することになる。
もちろん、現実的に見て6月再開は厳しそうだ。では、7月再開はどうか。これが可能ならば7月入学に変えるべきか。7月でもまだ厳しいなら、8月再開・8月入学だ。
なぜ9月なのか。
前提が足りない
『なぜ9月なのか』という問いに、世界の入学時期について考慮せずに答えることはできるだろうか。
論理的には可能である。
「新型コロナウイルスの脅威は8月中に消滅するから」
当然ながら、こんなことは誰も断言できない。
しかし、論理としては正しい。
8月中にコロナの脅威が去るのであれば、学校は9月から再開されるだろう。そうであれば、そこから失われた4月~8月の5ヵ月間を取り戻すべきだという主張は可能である。
さらには、9月から学校を始めるというのは世界の主要国と同じになるので、それならばいっそ、今年以降恒久的に9月入学とすべきでは、という形で論を進めることができる。
つまり、『なぜ今9月入学に変更すべきなのか』という問いに答えるには、まず前提として「8月中にウイルスの脅威が去ること」が必要なのである。
前提を加えた解答例
さて、これまで見てきたことを整理して、ひとまず解答例を出してみたい。
改めて問題を示す。
次の問いに日本語で答えなさい。
「日本の学校は今年から9月入学に変更すべきだ。」というが、なぜそういえるのか、説明せよ。
<解答例 3>
新型コロナウイルスの脅威は8月中に消滅するので、学校は9月再開になるが、それまでに失われた時間を完全な形で取り戻すべきであるだけでなく、主要各国と始業時期が揃うことを重要な利点と捉えるべきだから。
長いといえば長いが、問いには字数制限はないので問題ない。
というか、こうしなければ『今年』の部分も『9月』の部分も説明がつかないのだから仕方ない。
これで論理的な破綻はなくなった。
しかしもちろん、論理的には問題なくても、現実的な問題がある。
『コロナは8月中に消滅する』などということは断言できるはずがないのだ。
たとえ非の打ちどころのない完璧な9月入学制度の準備が整ったとしても、コロナの脅威が十分に衰退していなければ、通常の新学期を始めることなど不可能だ。
ということは、そもそもの話、「今年から9月入学に変更すべきだ」という主張には何の根拠もなく、議論の出発点にすら立てていない、という結論に至るのだろうか。
「消滅」とはどういう意味か
学校現場で今起きている問題は「学習や体験の機会を失いつつある」ということであり、その原因は「新型コロナウイルス(COVID-19)」である。
原因がなくならないことには結果も変わらないので、今すべきことは第一にこの原因を取り除くことである。
そして、世界全体から取り除くことは不可能としても、学校生活の場から取り除くことが可能であればよいのである。
学校現場からウイルスを取り除くというのは、児童・生徒・学生がウイルスに罹患する可能性を限りなくゼロにするということだ。
考えうる主な施策は、ネット授業と分散登校だろうか。
ネット授業
感染の可能性をゼロにしつつ授業が受けられるが、実技・実習・実験など、その場に行かなければできないことはできない。
分散登校
特に実技・実習・実験など、実際に登校しなければできないことが可能になる点が重要。しかしもちろん感染の可能性はゼロにはならない。
答えの限界点
とりあえず前述の方法で学校再開を可能にすることができれば、ひとまず教育現場から脅威を排除したことにはなるだろう。
もちろん、こうした形で誰もが教育を受けられる環境を整えるためにも時間が必要だ。
そう考えると、次のような解答が生まれる。
<解答例 4>
新型コロナウイルスの脅威を教育現場から排除し、教育環境を整えるために8月いっぱいまでかかるので、学校は9月再開になるが、それまでに失われた時間を完全な形で取り戻すべきであるだけでなく、主要各国と始業時期が揃うことを重要な利点と捉えるべきだから、日本の学校は今年から9月入学に変更すべきだ。
「新型コロナウイルスの脅威は8月中に消滅するので」
↓
「新型コロナウイルスの脅威を教育現場から排除し、教育環境を整えるために8月いっぱいまでかかるので」
先に挙げた解答を上のように訂正したものである。依然として社会にコロナの脅威はあっても、教育現場から排除できれば学校再開できるという見方を示した形になっている。
しかしもちろん、実際に実現可能かどうかは不明なので、結局のところ、9月入学の妥当性の根拠にはなりえない。
もう気付いた人もいるだろうが、「9月入学に変更すべきだ」という方向で現実的な議論を進めることは不可能である。
なぜなら、8月中にコロナの脅威が去ることを前提とする主張だからだ。しかし、現時点でこれを明言できる人は存在しえない。
つまり、言ってしまえば、ここまでが論理性を失わない答えとしての限界点であり、言わば「解なし」状態に近いということになってしまうのである。
ではどうするか。
主張の方向性を変更する
果たして「日本は今9月入学に変更すべきだ」という主張は可能なのだろうか。
どうしても9月入学にもっていきたい人は、主張の方向性を変更することをお勧めする。
たとえば、次のようなものだ。
8月までに新型コロナウイルスの脅威を教育現場から排除し、教育環境を整えることができれば、学校は9月から再開可能になる。そうなれば、世界の主要国と始業時期が同じになるので、これを機に9月入学への移行を検討してはどうだろうか。
最優先はコロナ排除
先に述べた通り「9月入学」を最優先事項とするには「コロナがなくなる」ことが前提となる。しかしそれは非現実的である。
現実を直視していない議論は「机上の空論」と呼ばれ、誰も相手になどしないものだ。
しっかり現実を直視し、「コロナを排除すること」を最優先に据える。そしてそこに改めて9月入学のメリットをそっと沿えるように、柔らかな提案にとどめる形が理想だ。
言い換えれば、主張する本人も含めて、ほとんど世界中の人々が現在置かれている状況は「コロナの脅威下」であり、これを取り除くことが一人一人の使命であることを明確にする必要があるということだ。
そして、どうにか8月までに脅威を排除することができればメリットが大きいのだということを伝えることで、「コロナ排除へのモチベーションを向上させる」という流れを作るのである。
こういう形であれば、少なくとも相手にされないということはなくなるだろう。
いよいよ議論へ
9月入学への恒久的な変更はあくまでも欧米の主要国と足並みを揃えることが目的であって、決してコロナ対策ではないので混同してはいけない。
上でも述べてきたように、学校再開に向けて全力でコロナ対策を行ったところ、どうやら日本全体での学校再開は9月になりそうだ、ということになって初めて「それならばいっそ…」という流れ以外には論理的に成立しえないのである。
このようにして、いよいよ議論が始まる。
9月入学賛成派が制さなければならない議論は大きく2つある。
学校の中の議論と外の議論である。
一律の5ヵ月延長は妥当か
まずは学校の中の議論から。
今私が持っている情報では、5月7日から学校が再開する地域と、5月いっぱいまで休校となる地域があるという。
そうなると、学校が再開した地域では、休校期間は4月の1ヵ月分と、3月と5月を合わせた約半月分であり、つまりおよそ1ヵ月半の時間さえ取り戻せればよく、5ヵ月もの延長は必要ない。
1ヵ月半くらいなら、夏休み短縮や土日祝に授業を実施することで補いきれそうであり、9月入学への変更などという結論はあまりに非現実的である。
こうした反論にどう対処するか。
9月再開までまともに学校に通えない人が出る可能性がある限り、彼らへの救済策は考えられるべきだと主張する以外にない。
5月からほぼ完全な教育を受けられる人の時間と、9月まで完全な教育を受けられない人の時間、どちらを重視するか。
言い換えれば、どちらであれば、今ここで重視しなくても後で完全に救済されるのか。
ぜひしっかりと議論してもらいたい。
社会的影響はどれほどか
次に、学校の外、すなわち社会の議論である。
9月入学に変更した場合、社会にどういった影響があるか。テレビやインターネットなど、さまざまな媒体で盛んに議論されているため、なじみのある人も多いだろう。
- 延長される5ヵ月間の学費・生活費負担
- 生まれ月と学年のずれ
- 会計年度のずれ
- 保育所・幼稚園への入園時期のずれ
- 教科書の季節感のずれ
- 修学旅行・遠足の時期の見直し
- 部活動等の大会時期の見直し
- 就職活動の実施時期の見直し
- 入学・資格試験の実施時期の見直し
- etc…
これらの問題が果たしてあと4ヵ月で解決するのかどうかについて、私個人の浅薄な知識と情報では到底答えることはできないので、みなさんの議論の行く末を見守っていきたい。
冒頭にも書いたように、この記事はあくまでも、私のこれまでの自由英作文指導の経験を元に、9月入学への変更を論理的に主張するにはどうするか、という観点で書いたものであり、賛成・反対いずれかの立場をとるものではないことを改めてお断りさせていただき、ここで筆を置くことにしたい。
至らないところもあると思うので、ご意見などあればぜひ下にあるコメント機能を利用していただきたい。
ともあれ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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