第5問
問題と解答はこちら↓
正解・配点
問1:1(3点)
問2:4, 5(3点)※順不同、完全解答
問3:2→5→4→1(3点)※完全解答
問4:3(3点)
問5:3(3点)
和訳・解説
本文
あなたは英語の授業で偉大な発明家についてのプレゼンテーションを行います。あなたは次のような記事を見つけ、発表のためのメモを準備しました。
テレビを発明したのは誰か?それは簡単には答えられない質問である。20世紀の初頭には機械式のテレビシステムというものがあったが、これは成功と言えるものではなかった。他方で、発明家たちは電子式のテレビシステムの開発を競い合っていたが、これが後に今日のテレビの基礎となるものであった。この電子テレビの特許をめぐってアメリカで争いが生じたが、これが一人の男性と巨大企業との間で起こったものであったために人々の関心を集めた。この特許は、そのシステムの開発、使用、そして販売のできる唯一の人間であるという公的な権利をその発明者に与えるというものであった。
Philo Taylor Farnsworth は1906年、ユタ州の丸太小屋で生まれた。彼が12歳になるまで彼の家族は電気を持たなかったこともあって、引っ越した先で発電機、つまり電気を生み出す機械を見つけて大喜びした。彼は機械や電気技術に興味を持ち、手に入るあらゆる情報を読みあさった。彼はしばしば古くなった発電機を修理したり、母親の手回し発電式の洗濯機を電動式に作り替えたりした。
ある日、Farnsworth が父親のジャガイモ畑で作業をしているとき、ふと後ろを見ると、自分が作ったまっすぐな平行線の土の列がすべて見えた。その時、彼はふと、この畑の畝と同じように、平行な線を使って幕の上に電子映像を映し出すことができるのではないかと思った。1922年、高校1年生の春学期、彼はこのアイディアを化学教諭の Justin Tolman に伝え、電子テレビシステムの構想について助言を求めた。Farnsworth は黒板にスケッチや図を描いて、どうしたら実現できるかを見せると、Tolman はその発想を発展させていくよう激励した。
1927年9月7日、Farnsworth は初めて電子映像の送信に成功した。それからさらに改良を重ね、ライブ映像の放送にも成功した。1930年、アメリカ政府はこのシステムの特許を彼に与えた。
しかし、そのようなシステムの開発に取り組んでいたのは Farnsworth だけではなかった。巨大企業である RCA (Radio Corporation of America) もまた、テレビに輝かしい未来を見出だし、この機を逃すまいとしていた。彼らは Vladimir Zworykin という、1923年にはすでに電子テレビシステムを開発して特許を取得していた人物を新たに雇用した。しかし、1931年、RCA は Farnsworth のシステムのほうが Zworykin のシステムよりも優れていると認め、大金と引き換えに特許を譲るよう持ちかけた。Farnsworth がこの申し出を断ったことによって、彼と RCA との間で特許戦争が始まることとなった。
RCA は Farnsworth に対して、1923年に取得した Zworykin の特許は、たとえこれまで一度も実用化されたことはなかったとしても、優先権を持つと主張し、法的措置に出た。Farnsworth はこの裁判の1審と2審で敗訴した。しかし、最終の第3審において、Farnsworth が電子テレビシステムの着想を得ていたのが、少なくとも Zworykin の特許が発行される1年前であったことを示す証拠が提出された。これを提出したのは、Farnsworth が黒板に描いたスケッチを模写したあの化学教諭であった。1934年、Farnsworth の特許請求権が裁判官によって承認された。根拠となったのは、高校時代の恩師 Tolman の手書きのメモであった。
Farnsworth は1971年に64歳で亡くなった。ラジオやテレビを中心に米国内外の特許を約300件取得し、1999年にはTIME誌の「Time 100: 今世紀最も重要な人々」にも選出された。Farnsworth の妻 Pem は、彼の死後に行われたインタビューの中で、Neil Armstrong の月面着陸が放送された時のことを思い出した。妻とともにテレビを見ていた Farnsworth は、「Pem、これですべてが報われたよ」と言った。Farnsworth の物語は、彼が10代の頃に見た、空気を通して動く映像を送るという夢、そして高校の黒板に描いたあの絵と、常に固く結びついているのである。
【解説】
昨年に引き続き、実在の人物について説明した文章を読み、それを元にしてプレゼンテーション用のメモを作成していく形式である。出来事の起こった時系列や因果関係などに注目して、ひと段落ごとに頭の中を整理して読み進めると良いが、進みが遅すぎると読んだ内容を忘れてしまいかねない。英文記憶力を十分に鍛えて臨みたい形式だ。
設問・選択肢
問1 あなたのプレゼンテーションの副題として最も相応しいのはどれか。[30]
- 巨大企業に立ち向かう若き発明家
- 高校教師から発明王へ
- 発電への無限の情熱
- 電子テレビの未来
【解説】
物語の後半で発明家Farnsworthが巨大企業RCAと裁判で争ったことが語られるので、そこまで読めば迷う余地はないが、消去法で確実に解くとなお良い。
Farnsworthは高校教師ではないし、発電だけに情熱を注いだわけでもないので2と3は×。
主人公はFarnsworthであってテレビではないため4は×。
よって1が正しい。
問2 「少年時代」欄を完成させるため、[31]と[32]に入れるのに最も相応しい選択肢を2つ選びなさい。(解答の順序は問わない。)
- 家族に電気を提供するために発電機を購入した
- 父の助けを借りて電気の通った丸太小屋を建てた
- 学校の全科目の教科書を読むことを楽しんだ
- 家族のために家の道具や設備を修理、改善した
- 畑仕事の最中に電子テレビのシステムを思いついた
【解説】
第2段落によれば、発電機は購入したわけではないので1は×。
Farnsworthが生まれたのは電気の通わない丸太小屋だったという記述はあるが、電気の通った丸太小屋に建て替えたという記述はないため2は×。
全教科の教科書を読んだという記述はないため3は×。
第2段落に「古くなった発電機を修理したり、母親の手回し発電の洗濯機を電動に作り替えたりした」とあるので4は正しい。
第3段落によれば、畑に作った平行な土の列をヒントにして電子映像の作り方を思いついたとあるので5は正しい。
以上より、1、2、3は誤りであり、4と5が正解である。
問3 「重要な出来事の時系列」欄を完成させるため、次の5つの出来事のうち4つを選び、それが起こった順に並べ替えなさい。[33]~[36]
- FarnsworthはRCAの申し出を拒絶した。
- Farnsworthは高校の先生に自分の考えを伝えた。
- RCAは1度目の争いに勝利した。
- アメリカ政府はFarnsworthに特許を与えた。
- Zworykinは自身のテレビシステムの特許を獲得した。
【解説】
まず、[36]の後に「RCAがFarnsworthを相手に裁判を起こす」とある点に注目する。選択肢3の勝利とは裁判での勝利のことなので、これは余分な選択肢であることがわかる。
残り4つの年代は以下の通り。
1. RCAの申し出の拒絶: 1931年
2. 高校教師に考えを伝える: 1922年
4. 米政府がFarnsworthに特許許可: 1930年
5. Zworykinが特許獲得: 1923年
以上より、2→5→4→1が正しい。
問4 「結果」欄を完成させるため、[37]に入れるのに最も適切な選択肢を一つ選びなさい。
- 彼の競争相手の技術力の低さの受容
- Tolmanから提供された資金援助
- 彼の教師が長年保存していたスケッチ
- RCAの争いからの撤退
【解説】
「結果」欄の空所[37]には、FarnsworthがRCAとの裁判に勝つことができた要因が入る。第6段落によれば、高校教師が書き写していたFarnsworthの黒板のスケッチが証拠として認められたとあるので3が正しい。
問5 「業績と評価」欄を完成させるため、[38]に入れるのに最も適切な選択肢を一つ選びなさい。
- RCAとの活動が評価され、夫妻で表彰された。
- アームストロングの最初の月面着陸が放送されたときに彼もテレビに出た。
- 彼の発明品によって私たちは歴史的な出来事を生で見ることができるようになった。
- 彼をテレビで見て、多くの若者たちが自分の夢を追いかけた。
【解説】
最終段落では月面着陸のテレビ放送について書かれている。これが表すのは歴史的な出来事を生で見ることなので3が正しい。
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