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第5問
正解・配点
問1:1(3点)
問2:1, 4(3点)※順不同、完全解答
問3:[33]3(3点)※完全解答
問3:[34]4
問3:[35]1
問3:[36]2
問4:1(3点)
問5:4(3点)
和訳・解説
本文
あなたは、もし生きていたらインタビューをしてみたかったと思う人物についての話をすることになっています。あなたが選んだ次の文章を読み、メモを完成させなさい。
Vivian Maier
これは、写真を取ることへの情熱を死ぬまで秘匿し続けたアメリカ人ストリート・フォトグラファーの物語である。彼女はその生涯を介護士として生きたため、オークションハウスによってその持ち物が売りに出されなければ、彼女の素晴らしい作品は永久に発見されることはなかったかもしれない。
それは2007年のことであった。シカゴのオークションハウスは、Vivian Maier という名の年老いた女性の持ち物を売りに出そうとしていた。彼女の保管料の支払いが滞っており、保管会社は預かっていた物品を売却することを決定したのである。彼女の品物は主に古い写真やネガだったが、Maloof、Slattery、Prow という3名の買い手に売却された。
Slattery は Vivian の作品に興味をもち、2008年7月に写真共有サイト上に公開した。写真はほとんど注目されなかった。そして10月になり、Maloof が自身のブログを Vivian の作品集にリンクさせると、間もなく何千人もの人々によって閲覧されるようになった。Maloof は印刷物に Vivian Maier という名前を見つけてはいたものの、素性については何一つ発見することはできなかった。その後、インターネットの検索によって彼女の死を報じる2009年の新聞記事に辿り着いた。Maloof はこの情報を使って Vivian の生涯について詳しく知ろうとしたが、まさに、Vivian の謎に満ちた生涯と彼女の写真という組み合わせこそが、人々の心を掴んで離さないのであった。
Vivian の生涯を細かく知ることには、2つの理由から制限がかけられていた。1つ目は、彼女の存命中にインタビューをした人間がいないために、なぜ彼女はそれほど多くの写真を撮ったのかがわからないということ。2つ目は、これは彼女を雇っていた家族へのインタビューによってわかったことだが、彼女は自分のことを語りたがらない人間だったということである。友人もほとんどいなかった。その上、自分の趣味をひた隠しにしていたのである。
Vivian は1926年にアメリカでオーストリア人の父親とフランス人の母親の元に生まれた。二人の結婚は幸福なものではなく、両親は数年にわたって別居をしていたようである。Vivian は幼少の頃、米国とフランスを頻繁に往復した。あるときはフランスで暮らし、あるときはアメリカで暮らした。しばらくの間、Vivian と母親は著名な写真家 Jeanne Bertrand とともにニューヨークで暮らした。Vivian は青年期の頃に写真に興味をもち始めたと考えられているが、これは、彼女の最初の写真が、非常に質素なカメラを使って、1940年代後半のフランスで撮影されていたからである。彼女は1951年にニューヨークに戻り、1956年にシカゴへ引っ越すと、Gensburg 一家の元で介護士として働き始めた。この仕事のおかげで、彼女は写真を撮るための余暇をより多く手に入れることができた。
1952年、26歳のとき、Vivian は初めて6×6判のカメラを購入した。これこそが、シカゴの日常風景を写した彼女の写真の大半を撮影したカメラである。彼女は30年以上に渡り、子ども、老人、富裕者、貧困者を撮影した。中には、写真を取られていることに気付いていない人々もいた。彼女はまた、自分自身を被写体とする写真もたくさん撮った。店のウィンドウに反射した姿を写すこともあれば、影を写すこともあった。Vivian は1970年代前半までシカゴの日常を記録し続けたが、その後は撮影方法を変えた。
国際的なドキュメンタリー映画 Finding Vivian Maier が賞を与えられたことも手伝って、彼女の作品へ興味を持つ人が増えた。映画によってヨーロッパとアメリカでは展覧会が開かれることになった。彼女の手法を最もよく表す写真を選ぶため、展覧会の責任者らは「Vivian Maier が生きていたらどの写真を現像しただろうか」という問いに答えを出そうとした。この問いに答えるため、彼らは Vivian のメモと、彼女が実際に現像した写真、そして Gensburg 家が報告している彼女の好みに関する情報を使った。Vivian は結果よりも撮影する瞬間のほうにはるかに大きな関心があった。それゆえに、Vivian の作品の背後にある謎は、その大部分が「現像されない」ままであると言ってもいいだろう。
プレゼンメモ:
Vivian Maier
写真家 Vivian
- 家事使用人として働きながら多くの写真を撮った。
- 存命中にインタビューした人がおらず、不明な点がとても多い。
- [30]
Vivian の作品
- 主な被写体:
・老若男女、富裕者、貧困者
・[31]
・[32]
作品が認知されるまでの流れ
- Vivian の保管料の支払いが滞る
- [33]
- [34]
- [35]
- [36]
- その生涯と作品に関する情報が組み合わさるにつれて大衆の関心が高まる
世界中に知れ渡るきっかけ
- 彼女の生涯と作品を収めたドキュメンタリー映画が賞を取ったことで新たな視聴者の獲得につながった。
- [37]
答えの出ない「大きな」疑問:[38]
【解説】
第1日程と同じく、実在の人物に関する記事を題材にしてプレゼン資料を作るという形式であった。興味のある人は Vivian Maier あるいはビビアン・マイヤーで検索してみよう。話の内容は面白いが、3ページに渡る長文に面食らった受験生もいただろう。長文化傾向はこれからも続くと思われるので、普段から英文に読み慣れておくことが大事になるだろう。it is ~ that の形をとるいわゆる強調構文が2度出てきたが、気づいただろうか?
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
設問・選択肢
問1 [30]に入れるのに最も適切なものはどれか。
- 彼女の作品はオークションで売りに出されるまで誰にも発見されていないままだった。
- 彼女は30代の頃に写真に魅力を感じたと考えられている。
- 彼女はどこへ行くにもカメラを持っていき、写真を他人に見せた。
- 彼女の写真の大部分はニューヨークで撮影された。
【解説】
本文の第1段落に「オークションハウスによってその持ち物が売りに出されなければ、彼女の素晴らしい作品は永久に発見されることはなかったかもしれない」とあるので 1 が正しい。
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
問2 [31]と[32]に入れるのに最も適切なものを選びなさい。(順序は問わない。)
- ドキュメンタリー型の写真
- 産業的な風景
- 自然の風景
- 彼女自身の写真
- お店のウィンドウ
【解説】
「作品」の例を列挙する部分を埋める問題。本文によれば、「彼女は自分自身の写真もたくさん撮った」とあり、また「1970年代前半までシカゴの日常を記録し続けた」とも述べられているので 1 と 4 が正しい。
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
問3 次の出来事をそれが起こった順番に並べなさい。[33]~[36]
- 買い手は自分のブログを彼女の写真の一部とリンクさせた。
- Vivian の死に関する報道が新聞で公表された。
- あるオークション企業が彼女の古い写真とネガを売りに出した。
- 彼女の作品がインターネット上で公表された。
【解説】
本文によれば、1 は2008年10月、2 は2009年、3 は2007年、4 は2008年7月のことである。よって 3 → 4 → 1 → 2 が正しい。
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
問4 [37]に入れるのに最も適切な記述を選びなさい。
- 彼女の作品の展覧会が世界の異なる地域で開かれた。
- ストリートの一瞬一瞬を切り取った彼女の写真集はある賞を獲得した。
- 彼女は自分の写真の扱い方についての詳細な指示書を残した。
- Vivian の雇用主の子どもたちは自分たちの写真を提供した。
【解説】
「どのようにして Vivian の作品が世界的に知られるようになったか」を説明する部分であり、1つはドキュメンタリー映画の公開なので、もう1つは本文の「映画によってヨーロッパとアメリカで展覧会が開かれることにつながった」に合致する 1 が正しい。
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
問5 [29]に入れるのに最も適切な問いを一つ選びなさい。
- 「彼女は写真を撮るためにどんな種類のカメラを使ったのか」
- 「彼女はすべてのネガと印刷物をどこに保管しておいたのか」
- 「なぜ彼女はニューヨークを去って介護士になったのか」
- 「なぜ彼女は誰にも見せずにこれだけ多くの写真を撮ったのか」
【解説】
本文最終段落の「Vivian は結果よりも撮影する瞬間のほうにはるかに大きな関心があった」という部分から類推すると 4 が適切であろう。あるいは消去法で 1、2、3 を消すほうが容易かもしれない。
【語句】
後日追記します
【文法】
後日追記します
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